相川ひな祭り
 佐渡相川で「相川ひなまつり」が開催されると聞いて、年齢も職業も異なる美女四人は早速、おひな様探訪?することに。三月八日(火)あいにくの小雨の中、ひなまつりマップを片手にカメラ持参の私達・・・江戸時代に奉行所が置かれていたこの地には、貴重なものから今日の新しいものまで様々と聞いているので、とっても楽しみです。パンフレットによると、相川地区に広がる19の民家・商店等を回り見ることが出来るそうですが、全部は無理かも?

友人の自動車に相乗りして一路相川へ。

 ひな祭りは、毎年三月三日に雛人形を飾り、桃の花や雛菓子を供えて白酒で祝う「雛祭り」の習俗は日本独特のものです。女の子の成長を願う日本古来の節句として現在まで語り継がれているお祭り上巳(じょうし)の節句とも呼ばれます。この上巳の節句は、江戸時代に定められた五つの節供(1/7七草(人日)の節句、3/3桃(上巳)の節供、5/5端午の節供、7/7七夕の節句、9/9重陽の節供)のうちの一つだそうです。
 
また、ひなまつりの起源は、中国の「曲水の宴」という厄除けと不浄をのぞく目的の行事と、日本古来の「祓え(はらえ)」(罪や不浄を清める信仰)が習合したものだとか・・・。
元々は紙人形などに穢れ(けがれ)を移して船に乗せて川に流すのが風習で、今でも鳥取や京都で「流し雛」という行事が残っているようです。
 
現在のような「飾り雛」の形になったのは、江戸時代。徳川家康の孫娘「東福院」が、自分の娘、興子(おきこ)のために作った座り雛がはじまりのようです。
 
雛人形は、古くは「ひいな」といわれ、紙・布製の男女一対の人形で「鳥のひなになすらえている」(玉勝間・本居宣長の随筆集)といわれるように、小さくて可愛らしいという意味、今でも俳句の世界では「ひいな」が使われています。
 
お雛様が3月3日の行事となっていくのはだいたい江戸時代の初期の頃。
人形や年中行事を大切に思う人々の中で受け継がれ、今日に至っています。
昨今では、ディズニーなどの人気キャラクター雛も出回っています。
最初に訪問したのは「ホテル万長」
 

 私は新聞に、横幅5.5メートルもの大きな段にさまざまな人形が並ぶと掲載されていた記事を読んで、とても楽しみにしていました。、是非この目でしっかりと見たい!みんな同じ思いだったらしく、意見が一致。 たしか三十年ぶりに飾られたとお聞きしました。 

玄関から奥へ・・・そっと襖を開けると、いやーなんとも、すごい!しばし我を忘れたかの感、おっと、写真を・・・

 
 官女をよく見ると嶋台を持つ官女 ひとりだけに眉がありません。
眉を剃り、お歯黒をつけるのは既婚女性の習慣でしたから、この女官はおそらく既婚の官女長、あとの二人は若い女性でしょう

 ちょっと珍しい人形たちが飾られていましたので、ご紹介いたします。
この人形の説明文は、「ホテル万長」さんで用意されていました。

勧進帳

源平合戦の後、兄源頼朝に誤解を受け源義経と弁慶ら主従一行は山伏の姿に身をやつし、幼い頃世話になった奥州の藤原秀郷をたよって北陸路を落ち延びて行く途中加賀の国安宅の関にさしかかった時、関守の富樫左衛門に見咎められる。山伏を通さぬ指令を堅く守る富樫は弁慶に対し、「勧進帳を読め」と強要。弁慶は機転をきかし偽りの勧進帳を読み、さらに富樫が仕掛ける問答にもすらすら答え、通過しようとした時、強力姿の義経を見つけ切りかかろうとした時、弁慶は義経を打ちつける。富樫はそれが策略と気付きつつも、弁慶の忠節に心打たれて一行を通す。

 鶯宿梅

「勅なれば いともかしこし  うぐいすの 宿はと問はば いかが答へむ」

時は天暦、村上天皇の御代、清涼殿の御前に有りますたいそう帝が愛された梅ノ木がかれてしまい新たな梅を探す事を命ぜられました。

家臣が四方八方手を尽くし、ようやく前にも劣らぬ見事な梅ノ木を探し出し、帝の御前に持ち帰ろうとした時梅ノ木のあった館の女性が、枝に結び帝に渡した句。

「帝の御命令ではございます事、畏れ多く謹んで贈呈いたします。しかしながら、毎年この庭にきてこの梅の枝に宿る鶯が、我が宿は如何したかと訪ねたならば、さてどう答えたらよいのでございましょう」と詠んだ。

 梅ノ木の館は、紀貫之ご息女が住んでいたという。

 鶴亀

狂言「鶴・亀」の語り舞の一場面。

鶴と亀が互いにめでたき謂れを舞い語る。

 太田道灌(1432〜1486)

室町時代の武将、相模に生まれる。関東管領 扇ヶ谷上杉氏の執事資清の子で歌人としても知られる。

康正2年江戸城を築き住み、川越、岩きの二城も築いた。
    「鷹狩りの一場面」

鷹狩りの最中ににわか雨にあった太田道灌から蓑(みの)を求められた農家の少女、紅皿は庭に咲いていた山吹の一枝を差し出しただけでした。その渡された枝に込められた意味は、

 古歌

「七重八重(ななえやえ)、花は咲けども 山吹の みのひとつだに 無きぞ悲しき」  中務卿 兼明親王(かねあきらしんのう)914〜984

家臣から「実の」と「蓑」が懸けられているのだ、と教えられた道灌は、無学を恥じて和歌を勉強したと言う

 六歌仙

平安時代に醍醐天皇の勅で紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑らによって編纂された「古今和歌集」の巻末の真名序を紀淑望が、巻頭の仮名序の中に「近き世にその名を聞こえたる人」として挙げられた六人のことを言う。

 
在原業平(ありわらのなりひら)

 小野小町(おののこまち)

 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)

 文屋康秀(ふんやのやすひで)

 大伴黒主(おおとものくろぬし)

 喜撰法師(きせんほうし)

古今集の中では六歌仙とは呼ばれておらず、後世交呼ぶようになった。

     天皇陛下誕生記念雛人形と頒布目録

東京日本橋の高島屋が今上天皇御誕生を記念し、限定100名に売り出したもの。
昭和9年3月から毎月1回1品の頒布で集めた雛人形。

子供遊び見立人形十二ヶ月
一月 起上り
二月 梅の便り
三月 人形師
四月 陽春
五月 角力
六月 養鶏
七月 大漁
八月 朝凪
九月 月光
十月 秋晴
十一月 お宮参り
二月 もんぺい
可愛らしいお雛さまに、ふっと唇よりこぼれる唄・・・
うれしいひな祭り

        山野三郎 作詞 

        河村光陽 作曲  昭和11年(1936)

1.あかりをつけましょ ぼんぼりに

  お花をあげましょ 桃の花

  五人ばやしの 笛太鼓

  今日はたのしい ひな祭り

2.お内裏様と おひな様

  二人ならんで すまし顔

  お嫁にいらした 姉様に

  よく似た官女の 白い顔

3.金のびょうぶに うつる灯を

  かすかにゆする 春の風

  すこし白酒 めされたか

  あかいお顔の 右大臣

4.着物をきかえて 帯しめて

  今日はわたしも はれ姿

  春のやよいの このよき日

  なによりうれしい ひな祭り

平日にもかかわらず、いつのまにかお座敷には見物客がいっぱい。

さて、今度は町から一番遠いところから見て回ることにしました。
右手に早春の日本海が広がること数分、玄関を入ってすぐ、ありました!段飾りのまだ新しいお雛様です。

「ホテル吾妻」に到着
ここで、段飾りのお人形についてちょっとお知りおきを・・・

   雛人形 段飾りの登場人物

夫婦びな
金の屏風
ぼんぼり 女雛 桃の花 男雛 ぼんぼり

段飾りの最上段、男雛(お殿様)と女雛(お姫様)の左右の位置が関東を中心に一般に売られている物と京都を中心とする関西のとでは違うのをご存じですか?

「お内裏様とお雛様」つまり男雛・女雛の夫婦雛です。古来右に男雛、左に女雛という配置だったのですが、大正天皇の即位の礼の時に西洋式に天皇陛下が左、皇后陛下が右に立ったのを関東圏の人たちが真似し、その結果関東では一般に左男雛・右女雛という逆の配置が行われるようになったそうです。
ですから、関東風は男雛が向かって左、女雛が向かって右になっています。
現代はこちら向きが全国的に主流みたいです。
これは日本古来の「左上座」、つまり左側(向かって右)の上座に男性が居られるという考え方とは逆ですが・・・。
京都は今でも昔の並びに習い、男雛が向かって右に、女雛が左になっているのが主流、昭和以前のアンティークのおひな様も皆この位置関係に飾られるように作られているようです。
また、好まれる顔も関東関西で違うようです。
関東は目が大きめで口元がかすかにほころびふっくらした可愛らしいお顔が人気だそうですし、関西ではいわゆる京美人、切れ長の目に鼻筋の通った高貴なお顔が好まれるそうです。

三人官女

長柄の銚子

を持つ官女 嶋台を

持つ官女 加えの銚子

を持つ官女

2段目には三人官女(さんにんかんじょ)です。左右の官女は立っており、真ん中の官女は座っています。官女の間には紅白の丸い餅を重ねたものが高杯(足の長い皿)に入れられて置かれています。
三人官女はお姫様のおつきの女官で、楽器を奏で、歌を詠み、家庭教師もこなす、今風に言えばキャリアウーマンです。

五人囃子

地謡 大鼓 小鼓 笛  太鼓

3段目には五人囃子(ごにんばやし)です。一見女性が5人いるように見えますが、多分髪をあげる前の若い男の子でしょう。分担は地謡(じうたい,扇を持っている)・大鼓(おおかわ,おおつづみ)・小鼓(こかわ,こつづみ)・笛・太鼓(たいこ)です。
五人囃子は単なる楽団ではなく、元服前の貴族の師弟で、良い所をアピールすれば元服後に宮中で重宝してもらえるかもしれないという少年達なので、実はなかなか彼らの心の中は野心に満ちています。
元服前なので髪型はお殿様とは違い、少年の髪型です。

左大臣・右大臣

右大臣 菱餅 御膳 御膳 菱餅 左大臣

4段目の左右には左大臣・右大臣が並びます。年を取っている方が左大臣、若い方が右大臣です。二人とも刀を差し弓矢を負っています。二人の間には菱餅とお膳が並びます。なお、左大臣は天皇・皇后に擬した内裏雛からみて左に位置しますので、こちらから見ると右側に並べます。これは次の左近の桜・右近の橘も同様です。
右大臣、左大臣は別名随身(ずいしん)、お殿様のおつきの男性です。
お殿様と一緒に行動し、時には恋の橋渡しなどもします。

仕丁と橘と桜

右近の橘 泣き上戸 笑い上戸 怒り上戸 左近の桜

5段目の左右には右近の橘と左近の桜が並べられています。その間にはさまれるように3人の従者が並んでいます。これは仕丁(しちょう)といいます。
宮中の雑用係で身分が低い分、怒った顔、泣いた顔、笑った顔とそれぞれユーモラスな豊かな表情をしています。

人形のこういったストーリーを知ったうえで段飾りを眺めてみるといろいろ想像が膨らんでなかなか楽しい物です。

お道具
箪笥 長持ち 鏡台 針差し 御膳揃え 茶道具
6段目には色々なお道具が並びます。箪笥(たんす)・長持ち・冠台・見台・香合・などなどです。

乗り物
駕篭 重箱 牛車
一番下の7段目には牛車や駕篭(かご)などの乗り物が並べられています。

しかし、以上の配置には色々なバリエーションがあります。

供物
桃は古代中国では悪気をはらう仙木として使われ、日本でも魔除けの道具として用いられました。白酒が飲まれるようになったのは室町時代からで、これも悪気をはらうとされました。
菱餅は初め草もちでしたが、次第にのし餅をひし形に切って供えるようになりました。餅は災いをはらうとされ、昔中国で菱ばかりを食べて長生きした仙人の話から、長寿を願って供えられます。雛あられはもともとは保存食・携行食で、ひなまつりが野外の行事であったことを物語っています。
 私の家では毎朝お膳に、ご飯、みそ汁、根野菜の煮物、アサツキのごま和えや魚料理などをお供えしました。また、花や桃、鯛などを型取った木型に食紅で赤・黄・緑の三色に染めた上新粉の団子生地を詰め、あんこを入れて型抜きをする。それを椿の葉に乗せて蒸したお菓子(私の家では「しんこ」と言っていた)なども雛あられと並べられました。

さて、今度はまた町に戻ることにしましたが名ドライバーのWさん、途中「ホテル大佐渡」に立ち寄りました。

「ホテル大佐渡」
ブライダルのショウウインドーの中にミッキーマウスの雛人形がありました。

ガラス越しなので正面はあきらめ、少し斜めで撮りました。

佐渡の熱海と言われている相川の町、今年、この時期の相川にご宿泊されるお客様は、お雛様を堪能されさぞかしご満悦でしょう・・・。私達も街並みは歩いて回る予定です。